篠竹監督の思い出

日本大学フェニックスの前監督、篠竹幹夫氏が亡くなった。
『ドラゴンフライ』や『ガッドフライ』など、当時は他に類を見ない(と言うより真似のできない)ショットガンフォーメーションによる爆発的な得点力を誇るオフェンスと、圧倒的なパワーとスピードを誇ったディフェンスを擁し、まさに一世を風靡した。公式戦通算290勝39敗4分け、勝率8割7分など、2004年に殿堂入りした篠竹氏の日本フットボール界における輝かしい功績は、私ごときが語るべきことではないだろう。

1986年3月、私が4年生になる年の春休み、Kayaksはフェニックスの練習に3日間参加させていただいた。
前年のシーズンを東北大学と6-6で引き分けながら得失点差で優勝した私たちは、全勝優勝を目指し、より高いレベルのアメリカンフットボールに触れるべく下高井戸へ向かったのだった。

良い意味で陰湿な雰囲気を持つグラウンドで必死の形相で走る選手たちに混ざり、私たちも懸命に走った。
経験やテクニックはもちろん差があった。そんなことは初めからわかっていた。しかし、何より圧倒的だったのはスピード、アジリティ、クイックネスの差だった。
ラインメンだった私には特にそれが感じられた。
3ポイントスタンスから私が手を地面から上げた瞬間に、対面の赤いヘルメットが目の前に迫っていた。ダブルチームブロックをしようとしても、2人で当たることなど出来そうもないぐらい速く、赤いヘルメットがPOAに向かっていた。
自分たちのやっていることはアメリカンフットボールとは言えない…そう思わせるほど、圧倒的な差だった。

スクリメージは篠竹監督が納得するまで、延々と続いた。
0-200ぐらい失点したのではないだろうか? このまま永遠に続くのでは…と思えるほど、何時間も続いた(気がしただけか?!)。
ご父母と思われる方々が何人も練習を見守る中、不甲斐無いプレーをした選手を踏みつける篠竹監督の姿をナマで見た。

練習後、全員でハドルを組んで篠竹監督のお話を伺った。
今でも覚えているのは、
「東北から来た選手は、基本がなってない」
という、篠竹監督のドスのきいた、しかし美しい低音の声。
それと、黙ってうなづくフェニックスの選手たち。
大声で返事するのが当たり前だった私たちにとっては、黙ってうなづく選手たちも、その圧倒的なスピードと同じぐらい印象的(!)だった。

当時から悪い噂もあった。
しかし同時に、それでも付いていきたくなるカリスマ性に満ちていた。
「冗談だろ!」と言いたくなるような噂も「篠竹監督ならあり得るかも?」と思わせる、不思議な魅力を持っていた。
『篠竹監督のロボット』と揶揄されることすらあった選手たちも、実際にはみんな明るくて良いヤツらだった。

練習3日目、東京に雪が降ったため練習は中止。帰仙前に付き添いのコーチと主将・副将で篠竹監督の部屋(教授室?)にお礼に伺った。副将だった私も同席したのだが、緊張していたためか話の内容は全く憶えていない。ただ、広くて立派な部屋と自信に満ちた『カリスマ』篠竹幹夫監督の立ち姿だけが今も鮮明に思い出される。

故篠竹幹夫氏のご冥福をお祈りいたします。

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プロフィール

k_sone

Author:k_sone
東北学院大学体育会アメリカンフットボール部Kayaks(カヤックス)の元監督。部員数が激減して廃部寸前にまで陥ったチームを立て直し、東北学生1部リーグに昇格させた。2011年5月、監督を辞任。

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