これこそ偉大な教育者が実行していることなのだ。だが、愚か者はこれと正反対のことをする。彼は人生の贈物がレモンだと知ると、あきらめ顔で「私は負けた。これが運命だ。もはやチャンスはない」などと言い出す。そして世間に文句をつけ、自己憐憫にどっぷり浸り込んでしまう。けれども、賢い人はレモンを手にして自問する。「この不運からどんな教訓を学ぶべきだろう? どうしたら周囲の状況がよくなるであろう? どうすればこのレモンをレモネードに変えられるだろうか?」
(カーネギー著 香山晶訳 「道は開ける」 p.198 創元社 1996)
ハリー・エマソン・フォズディックは二十世紀になって、もう一度説いている。「幸福は快楽ではない。それは、ほとんどの場合勝利である」と。そのとおりだ。それは成就の感覚、征服の感覚、レモンをレモネードに変えた感覚がもたらす勝利の喜びなのだ。
(同 p.200)
ウィリアム・ジェームズも言っている。「われわれの弱点そのものが、思いがけないほどわれわれを助けてくれる」と。
(同 pp.204-205)
かつてバイオリニストとして世界に名をはせたオーリ・ブールがパリで演奏をしていたとき、バイオリンのA弦がプツリと切れたことがあった。けれども、ブールは三本の弦でその曲を終りまで弾き続けた。「それが人生なのだ。A弦が切れることも、三本に弦で弾き終えることも」とハリー・エマソン・フォズディックは言っている。
それは単なる人生ではなく、人生以上のものだ。勝利に満ちた人生にほかならない!
(同 p.206)