多賀城キャンパスに行ってきた

今日の午後、業務の都合で多賀城キャンパスに行ってきた。
震災前と同じように、荒町から木下、大和町を通って、通称「産業道路」(宮城県道23号仙台塩釜線)を多賀城市へと同僚の運転するクルマで向かった。

最初は、新聞やテレビで見るような津波による被害らしきものは見られず、この辺りは大丈夫だったのかねー、などと話していたのだが、ある地域から急に道路には土が被り、路肩や中央分離帯には津波によって破壊されたクルマや瓦礫が散乱し始めた。おそらくそこまでは片付けが済んだのだろうか。ある所から急に景色が変わり、惨状が一面に広がっていた。

言葉も出ないというのはこういうことか、と実感した。

廃墟となった建物に残った泥水の跡を見ると、私の背丈ぐらいの津波が押し寄せたようだ。クルマの鋼板が、考えられないような形に変形していた。一体どれだけの力が加わったというのか。改めて津波の、自然の力の、途方も無い大きさを実感させられた。

仙台市の市街地にいると、ライフラインが一部まだ復旧していないだけで、物流もだいぶ回復したし、普段どおりに近い生活をし始めることができている。テレビなどを見ていて、今回の地震の影響をあまり受けなかった地域の人たちが計画停電への不満や物資の買い占めなどをする様子を見て、正直、腹立たしく思ったものだが、津波による大きな被害を受けた沿岸部の人たちから見れば、仙台の市街地にいる私たちも同じようなものだなぁーと恥ずかしさを感じた。

これまで、興味本位で見られるのがイヤで、このブログでは被災状況の写真を掲載してこなかった。これからも基本的にはそうするつもりだが、予想以上に甚大な被害を受けているのだということを、皆さん、是非、実感してください。そして、力を合わせて、一所懸命、復興に向けて歩んで行きましょう。
ブログ内検索
カテゴリー
月別アーカイブ
全記事一覧
モバイル版QRコード
このブログは携帯電話でも閲覧できます。下のQRコードを読み取ってアクセスしてください。
QR
プロフィール

k_sone

Author:k_sone
東北学院大学体育会アメリカンフットボール部Kayaks(カヤックス)の元監督。部員数が激減して廃部寸前にまで陥ったチームを立て直し、東北学生1部リーグに昇格させた。2011年5月、監督を辞任。

FC2カウンター
different version