1週間経過


3月11日(金)に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。復旧には長い時間がかかりそうですが、力を合わせて頑張っていきましょう!
東北学院大学体育会アメリカンフットボール部
監督 曾 根 邦 敏


三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震から1週間が経過した。
マグニチュード9、震度7の大地震は大津波を発生させ、東日本の太平洋沿岸の広い地域に壊滅的な被害を与えた。宮城県内の死者は17日(木)現在で3,000名を超え、全国の死者・行方不明者は15,000名を超えるという。

あの日、ちょうど1週間前の3月11日(金)、昼はランチを出す大学近くの居酒屋へひとりで昼飯を食べに行き、14時になっていつもどおり大学の窓口を開け、ちょっとひと息ついた時だった。

14時46分。
前々日の9日(水)にも大きな地震があったが、その時と同じようなゆったりとした大きな揺れで地震は始まり、どんどん激しさを増し、長く続いた。一向に終わる気配のない揺れ。デスク上のパソコンやプリンターも一部は落下した。照明が消えたことで停電したことに気付く。

揺れがおさまると同時に緊急放送が入り、キャンパス内の全学生・教職員が駐車場へと一時避難。その後、緊急時の避難場所となっている道路向かい側の東北大学のテニスコートへと移動した。

ほどなくして雪が舞い始め、あっと言う間に本降りとなって一面真っ白。避難する学生たちを誘導していた私はカーディガンを羽織っていただけだったが、先に帰宅を許された同僚職員がわざわざ防寒着を持ってきてくれて本当に助かった。

体育館の安全が確認され、避難していた学生・教職員は体育館へ移動し、緊急時の備蓄倉庫から毛布や水、発電機などを運び込む作業が始まった。初日は、狭い体育館に400名を超す学生・教職員が泊まり、翌日以降、人数は減っていったが、1週間経った今も、帰る手立てのない学生たちはキャンパス内に寝泊りしている。

私たち職員は24時間体制で対応にあたっているが、他に多くの学生たちがボランティアで避難している学生たちのお世話をしたり、情報収集に従事している。その働きぶりには頭が下がると同時に、不甲斐ない教職員の数の多さには腹立たしさを感じずにはいられない。

宮城県内では全域で今週中に電気が復旧、水道も今月中に復旧するという。ガス(都市ガス)については今後1ヶ月以上復旧しない見通しとのことだが、いち早くライフラインを復旧させて市民生活を守ろうとする関係者の努力には心から感謝し、敬意を表したい。

キャンパス内の建物はかなりの被害を受けており、本学は4月下旬までの休校を決定した。卒業式や入学式も中止が決定しており、何ともやるせない。「みんなで袴を着ます!」と嬉しそうに話していた女子学生の笑顔が、今はまるで夢だったかのような気すらする。

私は市街地にいるので正直実感が無いが、多賀城方面を調査してきた職員が撮影した写真を見て、言葉を失った。テレビで見る見知らぬ土地の映像とは違い、自分の知っている場所の変わり果てた様子を見て、果たして元の生活に戻ることができるのだろうか、と絶望にも似た感情を持ってしまったが、それも当たり前だろう。

しかし、私たちはここであきらめることはない。
東北という土地柄、阪神・淡路大震災の時のような速やかな復興は難しいかもしれないが、持ち前の粘り強さで、必ずや復興してみせる。慌てることなく、ゆっくりでもいい。力を合わせ、お互い協力しあって、少しずつ前へと進んでいこう。

福島原発のような違った意味での脅威もあるが、そこでも必死に被害を食い止めようと文字どおり命懸けで作業に従事している方々がいる。私たちも歯を食いしばり、必死になってここで頑張ろう。

しかし、何も無理をすることはない。謙虚に地道にせっせと頑張っていけば良い。

KayaksのOB/OGから多くの励ましのメッセージを頂戴している。現役たちも誰一人悲観している者はいない。果たして通常の活動に戻れるのがいつになるのか見当もつかないが、それでもKayaksの一員として皆が誇りを持ち、それぞれ地元で災害ボランティアなどの活動をしてくれていれば、監督としてこれ以上嬉しいことはない。

地震から1週間。徒然なるままに想いを書いてみた。
復興は、長く険しい道のりになると思われるが、Kayaksで学んだ経験を活かし、みんなで頑張っていこう!
ブログ内検索
カテゴリー
月別アーカイブ
全記事一覧
モバイル版QRコード
このブログは携帯電話でも閲覧できます。下のQRコードを読み取ってアクセスしてください。
QR
プロフィール

k_sone

Author:k_sone
東北学院大学体育会アメリカンフットボール部Kayaks(カヤックス)の元監督。部員数が激減して廃部寸前にまで陥ったチームを立て直し、東北学生1部リーグに昇格させた。2011年5月、監督を辞任。

FC2カウンター
different version