谷風の子孫がエール(新聞記事)

少し前の新聞記事になるが、Kayaks OBの金子晃弥先輩(第5期)が江戸時代の大横綱、谷風の子孫として紹介されている。

  • 白鵬よ連勝記録抜いてくれ!谷風の子孫がエール(スポーツ報知)
  • 【記事】
     日本相撲協会は1日、大相撲九州場所(14日初日・福岡国際センター)の新番付を発表した。横綱・白鵬(25)=宮城野=は双葉山が1939年1月場所で記録した歴代最多の69連勝に挑む。現在、62連勝中で初日に勝てば江戸時代の大横綱・谷風の63連勝に並ぶ。伝説とうたわれる谷風の子孫は現在、北海道札幌市内に在住していることが判明した。谷風から数えて9代目となる会社員の金子晃弥さん(51)。大記録に挑む白鵬へ先祖に代わって激励の言葉を贈った。
     伝説の横綱の血筋が今もなお受け継がれていた。直系の子孫にあたる現当主の金子晃弥さんは谷風から数えて9代目。会社員の晃弥さんは現在、仕事の都合で今年9月から札幌市に単身赴任している。白鵬に偉大な先祖の記録を塗り替えられることに「白鵬関は心技体そろっているし、抜かれてもいい力士だと思う。記録を作ってほしい」とエールを送った。

     谷風は実質的な初代横綱と言われている。全盛期には189センチ、169キロあったと言われる巨漢力士だった。徳川第10代将軍・家治、11代将軍・家斉の頃の1769年~94年に現役力士として活躍。江戸相撲における通算成績は258勝14敗16分け16預かり5無勝負で、勝率は9割4分9厘、優勝21回相当の成績と驚異的な記録を残した。力量、人格から模範的な横綱とされ、天明の大飢饉(ききん)などで被害にあった人民を勇気づけたヒーローだった。

     伝説の横綱の子孫は今も谷風が暮らしていた仙台市内の同じ地に存在する。家には9代目の母・みつゑさん、妻・まゆみさんが暮らし、先祖代々の地を守っており、ゆかりの品が数点眠っている。

     中でも特筆すべきは谷風の大腿(だいたい)骨。墓地が1942年に近所の飛行場の拡張に伴い移された際、ひつぎから取り出された。現在は金子家に大切に保存されており、長さは約48センチ。専門家によれば、おおむね身長の約4分の1が大腿骨の長さになるという。そこから推定すると、谷風の身長は192センチ前後と推測される。おおむね155~158センチとされる江戸時代の男性平均身長。谷風がずば抜けた体格の持ち主であったのだ。

     その血を受け継いだ晃弥さんは相撲経験こそ無いが、小学校の頃から運動神経が良く、大学ではアメフト部のランニングバックとして活躍。足には自信を持っており、全盛期は100メートルで11秒前半のタイムを持つ俊足で、陸上部にさえ勝ったことがあるという。伝説の横綱のDNAが受け継がれているようだ。

     晃弥さんは「白鵬関は間違いなく、伝説の横綱として名を残すことになると思う」と最大級の賛辞を贈った。伝説の横綱の血を受け継ぐ子孫からの後押しを受け、白鵬が69連勝に挑む。

     ◆ゆかりの品が規格外物語る 仙台市内にある金子家には、谷風の大腿骨のほか数点のゆかりの品がある。実際に谷風が弓取りで使った弓や、肖像画などが残されている。そのほかにもひつぎの中に入っていた古銭や愛用のキセルなどがある。食事の際に使っていたという汁わんが残っており、直径は30センチ。大横綱の驚くべき食欲をうかがい知ることができる。

     谷風の面影を残すものは、こういった品ばかりではない。谷風が住んだ生家は、現在では改築の末に瓦屋根に変わってしまったが、柱など見えないところで子孫を支えている。建築から200年以上たつが、家の柱や畳の下の板に江戸時代に建てた家の木が使われている。中でも板は谷風がけいこ場として使用した部屋の板で3センチ以上の厚さがある代物。みつゑさんは「改築の時に、大工さんも『いい木を使っている』と話していました」と振り返った。

     かつては実家にほど近い谷風の墓の前で、新横綱が土俵入りを行っていた。晃弥さんは子供の頃、北の富士や玉の海の土俵入りを見た記憶があるという。現当主は「改めて偉大なご先祖様だったんだと思う。谷風ゆかりの品をしっかり受け継いでいきたい」と語った。

     ◆金子 晃弥(かねこ・こうや)1958年11月17日、宮城・仙台市生まれ。51歳。相撲経験は「遊び程度」だというが、小さい頃からバレー、バスケット、バドミントンなど様々なスポーツを経験。学院大からアメフト部のランニングバックとして、東北リーグで2度優勝。現在は会社員として北海道・札幌市に単身赴任中。家族は母、妻と1男1女。

     [谷風あらかると]
    ▽怪力 赤ん坊の時、石臼に縛り付けていたところ、それをものともせず引きずっていた怪童だったと伝えられる。数え年9歳の時、米俵1俵(重さ約60キロ)を約3キロ離れた年貢米納所まで送り届けた。その間、俵を背負ったまま用便するなどの余裕を見せていたといわれる。
    ▽事実上の初代横綱 相撲に詳しい家として力士などに格式などを与えた吉田司家が初めて、横綱を締めて土俵入りする免状を与えた横綱。

     ◆谷風 梶之助(たにかぜ・かじのすけ)1750(寛延3年)年8月8日(旧暦)、宮城・仙台市生まれ。本名・金子与四郎。1769年4月春場所に「伊達関」のしこ名で「看板大関」として初土俵。1778年3月場所初日から82年2月場所7日目まで63連勝を達成(江戸本場所のみ)。1795年1月9日(旧暦)35連勝中ながら44歳で、インフルエンザのために死去したといわれている。通算成績は258勝14敗16分け16預かり5無勝負112休。優勝相当21回。

    (2010年11月2日06時02分 スポーツ報知)
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    k_sone

    Author:k_sone
    東北学院大学体育会アメリカンフットボール部Kayaks(カヤックス)の元監督。部員数が激減して廃部寸前にまで陥ったチームを立て直し、東北学生1部リーグに昇格させた。2011年5月、監督を辞任。

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