チームの主体

日曜の練習からいろいろなことを考え続けている。
いま、考えているのは、私はあまりにもチームの主体として自分を考え過ぎ、しかも、感情的になり過ぎたのではないかということ。

今、Kayaksも指導いただいているトレーニングコーチの澤野さん(Unit代表)は、初めに「やるかやらないかは皆さん次第です」と選手たちに話していた。Kayaksのコーチングスタッフにも同じようなことを言うコーチがいるが、私はそう思ったことはない。やるかやらないかは選手の自由ではなく、「やらせるのがコーチの役割」だと思ってきた。自分が、こうすれば勝てる、と思ったこと(アサイメントなど)を選手たちに正確にやらせる、そしてそのために必要な技術や基礎体力を練習で身に付けさせる、それがコーチ・監督としての自分の役割だと思ってきた。

しかし、これは誤りなのかも知れない。

先日、このブログでも書いたが、私は今、日本体育協会の指導員資格の取得を目指して勉強をしていて、その初っ端でつまずいたのだが、理由はそこにあるのかも知れない。チームの主体はあくまで選手たちであり、指導者は何事も強制すべきものではない、というようなことがテキストに書かれていた。もちろん、私もチームの主体は選手たち部員だと思っていて、コーチングスタッフは黒子のような存在だとは思っているが、導き手として、もっと積極的に関わるべきだと思っていた。しかし、それとは違ったことが書かれていて、資格取得の勉強の初っ端でつまずいた訳だ。

今シーズン、1部昇格を絶対に達成すべき目標として掲げたKayaksが、初戦から1ヶ月以上も練習を続け、改訂版のプレーブックが配付されてからも2週間以上が経っていたにも関わらず、一昨日の練習でアサイメントを間違うというのは、しかも同じ間違いを何度も繰り返すというのは、私にとってはあり得ない話で、その憤りが私自身を感情的にし、興奮させ、指導を放棄せしめて練習途中にも関わらずグラウンドから立ち去らせるということまでさせたのだろう。一所懸命になり過ぎて、自分の立場を見失ってしまったということか。自分自身が感情的なコーチであることを、私はこれまで肯定的にとらえてきたが、過ぎたるは及ばざるが如し、である。感情的になり過ぎて自分を見失ってしまってはお話にならない。

そんな風に考えていたら、「やるかやらないかは選手次第」というスタンスでチームと関わる方が、やっぱり正しいのかなと思い始めた。一所懸命教えはするが、それを正しく遂行するかしないかは選手次第。間違いに気付いたらもちろん指摘はするが、それで選手が直して上手くプレーが展開できれば良いし、直さなくてもそれはその選手次第だから成功しても失敗しても仕方がない、ということか。今までみたいに、怒ったりなだめたり誉めたりして選手が正しく動けるようになるまで指導する必要は無いのかも知れない。

これまで、「勝利は選手のお陰、敗因は監督にあり」と思って指導してきたが、そう思う必要も無いのだろうか。勝とうが負けようが、それはチームの主体である選手が選んだ結果であって、私が(監督が)責任を負う必要は無いということか。それはそれで楽ちんでいいが、何かやっぱりスッキリしない。

Kayaksは今日からゲームウィークの練習メニュー。私は仕事で今日の練習には参加できないが、今日の練習が気持ちよく終えられることを強く願っている。

関連記事
不用意なミス 2010年10月10日(日)
イライライライラ 2010年10月11日(月)
ブログ内検索
カテゴリー
月別アーカイブ
全記事一覧
モバイル版QRコード
このブログは携帯電話でも閲覧できます。下のQRコードを読み取ってアクセスしてください。
QR
プロフィール

k_sone

Author:k_sone
東北学院大学体育会アメリカンフットボール部Kayaks(カヤックス)の元監督。部員数が激減して廃部寸前にまで陥ったチームを立て直し、東北学生1部リーグに昇格させた。2011年5月、監督を辞任。

FC2カウンター
different version