闘将

時計の針の絶間なく、廻るが如く
時の間も、日陰惜しみて励みなば
如何なる技かならざらん。
一に練習、二に練習。
この一球絶対無二の一球なり。
しからば一球だにゆるがせにすべからず。
一球一打に精魂をこめよう。

選手心得
一、卓球を通じてスポーツ精神に神髄を把握せよ
一、自己により卓球部が構成され、又卓球部により自己が育成されることを忘れるな
一、自己の責任を自覚せよ
一、自己の目的に忠実に努力せよ
一、何時如何なる時でも与えられたものを自己の進歩向上の途とせよ

この部訓で私が選手に求めたのは、為せば成るという確固たる信念と希望、不撓不屈の精神力を養うことだった。

(吉田安夫 「闘将 --全国優勝100回の偉業はなぜ達成できたのか--」 pp.15-16 卓球王国 2002)

厳しい練習に音を上げずに頑張ったことが認められたのだ、と私は思った。努力に無駄ということはないのである。(p.33)

どのような競技であれ、選手が前向きに、積極的に、そして自発的に練習するように導ければ、それは名監督である。力、技術は、選手が自ら練習に打ち込み、工夫し、勝つ瞬間をイメージしながら向上させていくものだからである。(p.36)

「努力なくして勝利なし、他校の二倍の練習をもって最低限度とすべし」といった練習の質と量の充実、精神面の強化によって勝てるチームができる、というのが砂押監督の基本的な考え方だった。(p.44)

…強くなるための心構えとは次のようなものであった。
①技術を生むには不撓不屈の精神力が必要であること、②真面目な努力、忍耐が目の前に立ちはだかる壁を破ること、③全国優勝までの栄光の道を目指してひと筋に、心身共に刻苦精励すること、④為せば成るという確固たる信念と希望を持ち続けること。(p.50)

このような過酷な練習を強いたのは、歯を食いしばって耐えに耐え、自己の体力の限界に死力を尽くして挑むことで、最後まで頑張れる粘り強い、精神的に強い選手になると信じていたからである。また、心身の限界に耐えた経験は必ず、「やればできる」という自信につながり、「せいぜい県大会まで」という意識の殻を破ることになると思ったからである。
…(中略)…
勝つチーム、勝つ選手とは、そのような精神的な弱さを、生活面、練習面における厳しい自己管理によって克服できる集団であり、個人であえる。(p.63)

率先垂範も私の指導哲学のひとつである。
「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
この言葉は、率先垂範が大事であるということを教えた山本五十六連合艦隊司令官の有名な言葉である。また、経営の神様と言われた松下電器の創業者松下幸之助氏も、語録の中で、「会社が百人までは率先垂範、千人を超えたら社員にお願いする、一万人を超えたら社員に向かって拝め」といった趣旨の訓えを残している。
この二人の先達は、人をその気にさせるには、まず指導者、経営トップが燃えて、率先垂範で陣頭指揮をとることだと教えている。
ここでいう率先垂範とは、選手と一緒になって走り、プレーするということではない。どの選手よりも卓球が好きで、掲げた目標に向かう強力な牽引車となることである。(pp.64-65)

選手がやる気さえ起こせばしめたものである。黙っていても、強くなる方法を自分で探すからだ。(p.66)

スポーツの世界では実績と伝統が人を呼ぶ。選手たちが、ここなら優勝の感激を味わえる可能性が高いと判断するからだ。(p.80)

…終わったことをあれこれ言っても仕方ない。もちろん、ミーティングで敗因を分析し、その後の練習で課題を克服することは絶対必要ではあるが、指導者が愚痴のような言い方をするのは禁物である。選手は自分がおかしたミスを誰よりも知っている。それで反省しているところに執拗に愚痴を重ねられたのでは滅入ってしまい、練習で同じミスを克服しようという気持ちをなくしてしまうからだ。最悪の場合は、再び試合で同じような状況に遭遇したときに「またミスをするのではないか。ミスをしたらどうしよう」と萎縮してしまう。マイナスの学習効果を与えてしまうのである。(p.87)

かつて私は田舛彦介氏の言葉に心打たれたことがある。
「人生最大の敵は自惚れであり、最大の味方は努力である」(p.103)

…意識的に強い選手に当たらせて、できるだけ負けさせようとした。負ければ、どういう卓球をすれば勝てるかを実感するようになるからである。
…(中略)…
ともかく攻撃型でなければ強い選手になれないことを身にしみて覚えさせようとしたのである。(p.104)

敗因は、油断である。
…(中略)…
また、体調づくりの失敗もあった。これは監督である私の責任だ。(p.108)

選手たちは入学し、そして卒業していく。どの年代の選手に対しても常に前向きに、“為せば成る”の姿勢を示し、教え導いていくのが名指導者であり、私が熊谷商業に奉職したときに抱いた初心であった。(p.114)

ベンチに戻った渡辺に対し、私は気合いを入れた。
…(中略)…
「お前は今、長尾に負けているんじゃなく、自分の気持ちに負けている。中学のとき長尾に骨を折って勝った、というイメージがあるから弱気になってるんだ。これまでなんのために熊商で頑張ってきたんだ。自分の卓球をやれば絶対に勝てる。怖がらずに思い切っていけ」(pp.122-123)

相手の強いところを攻めれば、当然強いボールが自分のところに返ってくる。そうすると自分の練習になる。(p.124)

…熊谷商業の際だつ個性のひとつに卓球があって良いと考えてきた。卓球を通じて生徒が自らの務め、責任感といったものを学び、成長していく。大学に進むにせよ、実業人としての道を歩むにせよ最大限の努力ができる人間になる。それは素晴らしい教育ではないかと考えてきた。
それが、卓球に専念することが、卓球に「うつつを抜かしている」ような見方をする教師が増えてきたのである。(p.145)

素質のある選手、十分に整った練習環境、そして指導者--。この三拍子を揃えることができればチームは強くなり、選手は成長する。言葉では簡単に言えるが、三つの条件を整えるのは並大抵のことではない。いずれの条件にも経済的な問題が大きくのしかかってくるからである。(p.156)

…そのときに同校の練習場がぴかぴかに磨かれており、思わず姿勢を正して練習場に入った。卓球に打ち込む姿勢が練習場の美しさに表れているような気がした。(p.167)

選手のコンディションづくりも監督の大事な責務なのである。(p.168)

そこでまず、取り組んだのがスカウト活動である。(p.169)

素直であるということは人の話(先生やコーチ)を聞く姿勢を持っていることであり、成長するための必須要件である。(p.170)

大舞台では技術よりも精神力、判断力が勝敗を分ける大きな要素になる。(p.176)

宋はチームのエースだった。だが、インターハイ・シングルスを連覇しても決して驕ることはなかった。練習姿勢も常に前向きで積極的だった。優勝後のインタビューに答えるときも、近くで聞いていてほろりとするような言葉を吐いた。
「厳しい練習を続けてきましたから。勝てたのは監督さんのおかげです」
このように宋はあくまで謙虚だった。同時に加藤、田勢、三田村も全員が努力家で着実に実力をつけていた。だからチームは宋のワンマンチームとはならなかった。このチームの群を抜く強さの秘密はそこにあった。
「宋という目標があって、チーム内で皆が競り合っている。それで皆が強くなっている」三田村たちはそういう言い方をしていた。(p.181)

第2ゲームを競り勝ち、第3ゲームを圧勝する勝ち方は、私がもっとも褒める勝ちパターンである。それは精神力の強さの証だからだ。(p.183)

私が田舛氏から教わったのも、そうした逆境にあっても常に夢を持ち続け、その夢の実現に向けてひたむきに努力する、持続する志の大切さであったように思う。(p.199)

いかなる教育も逆境に及ぶものはないと言われる。確かに逆境は、それをはねのけた者の精神を鍛える。だが、逆境の中に浸かったままでは強いチームはつくれない。強くなるのは逆境を順境に変えることができたときである。
…(中略)…
こうした輝かしい成績を残せたのは、我慢強く、ときには強引に練習に集中できる環境を作り上げてきたからだと思う。逆境を順境に変えていったのである。(pp.205-206)

私は全国大会で連覇できるチームをつくるのは、人材の確保、環境づくり、予算の確保、有能な指導者の四つが必要と思っている。(p.210)

「勇将の下に弱卒なし」という言葉がある。強く勇ましい大将のもとでは兵卒も感化されて強くなり、強い組織ができるという意味である。この言葉は、勝てるチームになるかどうかが、指導者によって大きく左右されることも教えている。(p.219)

…指導者の資質でもっとも大切な要件は「信念と情熱」の持ち主であることだ。信念とは、このチームを絶対に勝てるチームにするとの、強い意志と欲望である。また情熱とは、思考と行動さらには日常生活をも卓球に投じる姿勢である。(p.219)

選手が力をつけるのは、選手がやる気を起こして自発的に練習に打ち込むときである。
そうした選手の自主性を引き出すのが指導者の情熱なのである。情熱が選手を引きつけ、選手を伸ばす最大の要素と私は確信している。(p.221)

…私が指導者の条件として掲げる情熱は、まず、選手に対する愛情を原点として、常に理想を描き、目標に向かって熱く燃えることなのである。
よく選手と話し合い、練習においても明確な目標を掲げ、選手と一心同体になって努力する。こうした指導者に率いられるチームは、必ず勝てるチームへと成長を遂げる。(p.222)

名指導者とは、ひと言で言えば選手の無限の潜在能力を引き出せる指導者ということになるだろう。…中略…
では、選手の潜在能力(素質)を引き出すには何が必要か。まず第一は選手に対して正しい理論と情報の提供者であることだ。
…中略…
第二に、選手およびチームに関するビジョンを描くことも重要である。…中略…指導者は多くの失敗や成功を繰り返し、体験を積み重ねてこそ、先を見越した指導ができるようになる。要は一日一日ベストを尽くすことだ。
第三に、指導者は心理学者でなければならない。選手の性格を十分熟知し、適切な指導をして、選手が毎日気持ち良く集中して練習に打ち込めるようにする必要がある。
…中略…
もうひとつ、選手の潜在能力を引き出すのは、指導者の選手に対する愛情である。
選手は成長過程において精神的に悩み、苦しんだりして、不安や迷いが多い。例えば技術的な問題、用具の問題、家庭的・経済的な問題、進路や人間関係など……。
これらの問題について、普段から愛情をもって親身に接し、適切な助言を与えて指導することが何よりも大切である。
アドバイスや叱責が選手を育てるためのものか、監督の栄誉を守るためのものか、選手は敏感に察知する。前者でなければ選手はついてこない。(pp.224-228)

つまり、強くなるためには「本気(好き)」と「やる気」と「根気」の三つの気が欠かせない要素なのである。(p.230)

「まず監督は選手を信じる。選手は監督を信じる、そして練習を信じる」(p.231)

「先ず信じよ」(イエス・キリスト)、「信は万事のもと」(孔子)の言葉もある。洋の東西を問わず、信念はすべての出発点なのである。(p.232)

私は、必勝への道はまず指導者の情熱と“為せば成る”という強固な信念以外にはないと考えている。最高の技術を修得することも、必勝の秘策も、その情熱と信念があって初めて生まれる。思いつきや人まね程度のところでお茶を濁して考えている限り、秘策はおろか、何ものも生まれ得ない。
寸刻を惜しみ、寝食を忘れて思案し、創意工夫して考え抜く境地において必勝の指導法と施策が自得できるのである。(p.235)

こうしてあらゆる戦型が揃っていれば、試合で相手チームの弱点を突けるだけでなく、練習でもさまざまなタイプの選手と練習ができるために、苦手タイプがなくなり、常に戦術を考えて実戦的練習に打ち込める利点もある。習うより慣れろである。
苦手な戦型があっては優勝はできない。あらゆる戦型に対応できるのがチャンピオンチームなのである。(p.245)

強力なエースが生まれると、その選手の影響力は大きく、普段の卓球に取り組む姿勢、生活面などでほかの選手の模範となり、チームの良い刺激となって、チーム力の向上につながるものである。(p.245)

練習とは、自分にできないことをできるようにするのが目的だ。そして、より高い技術を習得するのが目標である。(p.249)

「才能とは努力できること」なのである。(p.250)
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プロフィール

k_sone

Author:k_sone
東北学院大学体育会アメリカンフットボール部Kayaks(カヤックス)の元監督。部員数が激減して廃部寸前にまで陥ったチームを立て直し、東北学生1部リーグに昇格させた。2011年5月、監督を辞任。

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